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青森地方裁判所 昭和29年(ワ)42号 判決

原告 川原田清蔵 外二〇名

被告 国

訴訟代理人 横山茂晴 外四名

主文

原告等の各請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は請求の趣旨として「別紙物件目録記載(一)(二)の山林及び原野並びに同地内に生立する立木につき原告等が各自持分二十二分の一宛の共有権を有することを確認する。若し右請求にして理由がないときは被告は本件土地を原告等各自に対し、それぞれ持分二十二分の一の割合で無償譲渡すべき義務を有することを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めその請求原因として、別紙物件目録記載(一)、(二)の山林及び原野(以下単に本件土地と称す)は原告徳蔵、同末八、同忠男、同幸一郎及び同武雄を除く他の原告十六名と右徳蔵の先代(亡)久松同末八の先代(亡)金助、同忠男の先代(亡)佐吉、同幸一郎の先々代(亡)鶴松及び同武雄の先代(亡)子之松外一名計二十二名の共有に属し(持分平等)且つ、共有者全員で森林組合を作り地上立木等の育成を計り来つたものであるところ、昭和十八年国が大東亜戦に突入するや海軍省から本件土地を海軍砂子又聴測照射所建設用地として使用したい、戦争が終れば返還する旨の申入れがあり、しかも右申入れは軍の方で最初無断で勝手に測量し道路や柵等を設けてからのことであつたので、共有者一同は国を挙げて勝ち抜こうとしている際であり又別に自分等の耕作等に影響があるわけでもなかつたので、軍の申出を諒とし部落事務所に集つて軍から派遣された人に対し喜んでその申入を受諾した。その後海軍では本件土地に建物五棟、水タンク及びこれに附随する設備及び聴音機其の他の機械類を整備したが未だ使用するに至らない前に終戦となり、又昭和二十年十月に至り、別に共有者の方から要求しないのに海軍から金二千六百二十九円二十一銭を小切手で送つて来たので、多分使用料として送つて来たものと思い受取つて置いた。(しかしその後間もなく税務署からこの金は戦時利得税として納付すべきものであるといわれ、何が何んだかわからないまましれを納入してある。)そして原告並びに前記原告等先代は戦争も終つたこととて、被告に対し最初の約束通り右土地の返還を求めると同時に地上建物について縁故払下げをして貰い度い旨申出でたところ、意外にも被告国は右土地は地上立木と共に、昭和十八年七月一日付で当時の共有者全員から買取つたものであるとして原告等の所有権を否認し、返還を肯んじない。しかして、原告徳蔵は昭和二十四年七月七日、先代久松の死亡により同人の持分権を、川原田ヨコ、同ナツの三名で共同相続し、その後、昭和二十九年十月二十八日同人等からその相続による持分権の贈与を受け、原告末八は昭和二十八年一月二十七日先代金助の死亡により同人の持分権を単独相続し、原告忠男は昭和十八年十二月八日先代佐吉の死亡により同人の持分権を相続し、原告幸一郎は同人の先代鶴松の死亡により昭和二十年四月四日家督相続した松本元吉の死亡により昭和二十四年一月二十四日右持分権を相続し、原告武雄は昭和二十四年七月十七日先代子之松の死亡により訴外人沢田つう、畑しゆん、畑中ちや、杉山さんと共同相続し、その後昭和二十五年十一月一日右訴外人等から夫々の相続による持分権の贈与を受け、結局各原告はいずれも本件土地につき二十二分の一宛の持分権を有するに至つたものである。よつて被告に対し、各原告が本件土地並びに地上立木につきそれぞれ二十二分の一宛の持分権を有することの確認を求めるため本訴請求に及んだ旨陳述し、被告の抗弁に対し仮に被告がその主張のように、本件土地の所有権を取得したとしても、その所有権取得につき未だ移転登記を受けていない、しかるに原告武雄は前記のとおり子之松の死亡により同人の持分権を沢田つう外三名の者と共に相続し、更に同人等からその相続による持分権の贈与を受け、昭和二十五年十二月二日青森地方法務局田名部出張所受附第二四七号を以てその旨の持分権移転の登記手続を経由しているから、同原告が右訴外人等から贈与を受けた持分権については被告の右所有権取得登記の欠缺を主張し得る立場にあるものというべく、従つて、被告は少くとも同原告に対してはその所有権取得を以て対抗することができない。なお本件土地並びに地上立木が被告主張のとおり、真に被告にその所有権が移転したものであるとしても、被告の右所有権取得は戦時補償特別措置法第六十条にいわゆる国が土地を収用した場合に該当すべくしかして同条によれば、国が現に当該土地を所有している場合は旧所有者の請求により、その譲渡価格からその対価の請求権に課せられた戦時補償特別税額を控除した金額に相当する対価を以て譲渡すべき義務を有するところ、本件土地の譲渡価格は前示のとおり小切手を以て支払われた金二千六百二十九円二十一銭でありこれに課せられた戦時補償特別税は右と同額、つまり全額であつて原告等はこれを納付しているのであるからその残額たるものがなく、従つて、被告は無償で旧所有者である原告及びその相続人に対し本件土地を譲渡しなければならない筋合である。しかして原告等は同法に基き昭和二十年十月十六日以来関係当局に対し本件土地の譲渡を求め、昭和二十二年一月二十八日付仙台財務局田名部出張所次長の発した書面(甲第九号証の二)によるも原告等の払下げを求める意思表示のあつたことを認めていながら、今日なお、右の義務を履行しないものである。よつて予備的請求として原告等に対し本件土地並びに地上立木を無償で譲渡すべき義務あることの確認を求めると述べた。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、

一、原告等主張事実中本件土地が二十二名の共有に属し、原告等の中原告徳蔵、同末八、同幸一郎、同又三郎、同勝美、同忠男同武雄以外の十四名及び(亡)久松、(亡)金助、(亡)佐吉(亡)鶴松、(亡)子之松が昭和十八年七月一日当時、本件土地について各自持分二十二分の一宛の共有権を有していた(他の三名は訴外畑中玉吉、同松木茂、同田中寅蔵)ことは認めるが、相続共有権の取得及び共有持分権の贈与の事実は知らない。当時の共有者が本件土地を海軍に協力する心算で賃貸借とも使用貸借とも定めずに使用させていた旨の主張は否認する。本件土地並びに地上立木は被告が昭和十八年七月一日、当時の共有者より買収して所有するに至つたものでその所有権取得までの経緯は次のとおりである。

当時、大湊海軍施設部会計課国有財産買収班に勤務していた高橋堅吉は、海軍大臣の訓令に基き海軍聴音照射所用地とするため、本件土地及び立木の買収の命を受け、昭和十八年五月下旬頃、現地に赴き、当時本件土地の共有者の一人であつた原告金作外一部の共有者に対し、海軍が本件土地及び立木を買受けたい旨を伝えたところ、右共有者及び右共有者より右の旨をはかられた他の共有者全員はこれを承諾した。そこで右高橋堅吉は間もなく立木の買収価格決定のため約一週間に亘つて毎木調査をなし、同年六月中旬頃、右調査を遂げ立木の買収価格を決定し、土地の買収価格とともにこれを示して同年七月一日付で立木及び土地の各売渡書並に登記関係に必要な書類を原告畑中金作宛に郵送したところ、右共有者全員が右各売渡書に署名押印して大湊海軍施設部宛郵送して来たのでこれを受理した。従つて前記日付で被告は大湊海軍施設部によつて右共有者より本件土地及び立木を買収し、所有するに至つたものである。そして立木の代金はその後まもなく支払を了したが、本件土地の代金については、一般に所有権移転登記手続を経た上でなされる取扱いであつたところ本件土地についての前記売買契約成立当時の所有者と登記簿上の所有名義人とが一致せず、且つ共有者が多数で直ちに所有権移転登記手続を経ることが出来ない状態に置かれていたため、登記手続未了のままで経過し、従つて代金の支払も未了のままで終戦に至り、茲に海軍経理部として早急に未払代金の整理をする必要に迫られ昭和二十年十月、共有者代表原告金作に宛て隔地送金手続を以て金額二千六百二十九円二十一銭の小切手(第八〇〇三号)を送付して支払を了し、本件土地及び立木買収の一切の義務を履行したものである。されば原告等の本件持分権確認の請求は失当であると述べ、

右の主張に対する原告の再抗弁に対し、(亡)子之松の本件土地に対する共有持分権について原告武雄主張どおりの相続贈与の登記がなされていることは認めるが相続、贈与の実体的な権利の変動はこれを争う。仮に右の登記が同原告の主張どおりの実体関係に伴つてなされたものであるとしても共同相続人相互間における共同相続に係る不動産についての持分権の譲渡はこれを第三者に譲渡した場合と異なり単に被相続人から承継した地位の量的範囲に増減を生ずるに止まり、地位の同一性には影響がないから、同原告は被告の登記の欠缺を主張し得べき正当の利益を有する第三者に該当しない。又原告等が本件土地収用の対価の請求権について同額の戦時補償特別措置法第六十条による旧所有物件の譲渡を受けるには、同法施行規則第二十五条第一項に定められた一般申告の期限たる昭和二十一年十二月十四日後三箇月以内に譲渡の申告をなした上で、昭和二十三年九月三十日までに当該土地建物等に課せられた特別補償税を納付しなければならないところ、原告等は、右一般申告期限後三箇月以内に法定の申告をしていないばかりでなく、戦時補償特別税を納付したのも昭和二十三年十月九日であつて、何れの点からするも被告は本件土地について原告等主張の如き義務を負うものではない。従つて原告等の予備的請求も理由がない。と述べた。

〈立証 省略〉

理由

本件土地が地上立木とも昭和十八年七月一日当時二十二名の共有に属し本件原告等の中原告徳蔵、同末八、同幸一郎、同又三郎、同勝美、同忠男、同武雄を除く十四名の原告及び(亡)久松、(亡)金助、(亡)佐吉、(亡)鶴松、(亡)子之松等がその共有者であり各自二十二分の一宛の共有持分権を有していたことは当事者間に争いがない。被告は右土地並びに立木は当時の共有者全員から海軍の聴音照射所用地として買受けて所有権を取得した旨抗争するにつき案ずるに、何れも成立に争のない乙第一号証、同第三号証の一乃至三、同第四号証の一、二、同第五号証の一乃至三、同第六号証の一、同第八号証の一、二、証人柳谷豊太郎(第一、二回)同高橋堅吉(第一、二回)同佐藤富三郎の各証言、原告川原田清蔵(一部)、同松木金吉(一部)各本人訊問の結果を綜合すると、大湊海軍施設部会計課国有財産買収班に勤務していた高橋堅吉が訓令に基き、海軍聴音照射所用地とするため本件土地並びに地上立木買収のため、昭和十八年五月下旬頃、現地に赴き、原告等居住の部落事務所において、当時部落代表であつた原告金作及び会計事務を取扱つていた原告清蔵外本件土地の当時の共有者の一部に対し、海軍が本件土地及び立木を買受けたい旨を伝えたところ右共有者及び共有者より右の旨をはかられた他の共有者全員より戦争遂行のためであるならばやむを得ない。相当の価格で買取つて貰いたい旨の承諾があり、そこで右高橋は約一週間の時日をかけ村役場の協力を得て同年六月中旬頃本件土地及び立木についての毎木調査を遂げ、原告等に買収価格を告げて現地を引揚げたこと。施設部がその後昭和十八年七月一日付を以つて本件土地及び立木について、各別に、共有者の押印を除いて所要事項を記入し作製した売渡書を原告金作宛一括郵送し、同人を通じて右各売渡書に共有者全員の押印を得た上で本件土地の所有権移転登記手続に必要な書類と共に郵送を受け、間もなく右立木代金の支払をなしたが、本件土地代金については土地建物等の不動産の場合は、所有権移転登記手続を了した後に支払われる取扱であつたところ、右高橋が昭和十八年八月末頃応召し事務引継に適切を欠いたため、その後ながらく所有権移転登記手続をなすことなくその支払未了の間に終戦を迎えるに至つたこと、終戦後右施設部が短時日の間に海軍の旧債務の清算を遂げなければならなかつた為、土地調書上も明かに代金未払となつていた本件土地について、共有者に代金支払をなすべく共有者代表資格で原告金作をして昭和二十年十月六日附で請求書及び領収書を提出せしめ引換えに東北財務局青森財務部の隔地送金手続により同原告宛金額二千六百二十九円二十一銭の小切手(第八〇〇三号)を送付して支払を了したこと、而して右請求書及び領収書には本件土地について地番、反別、単価(山林は反当り金二十一円、原野は同金十八円)代価(山林は金二千五百九十四円四十一銭、原野は金三十四円八十銭)、日附等が記入され、砂子又聴測照射指揮所用地買収と朱書されてあること及び原告等の中原告徳蔵、同幸一郎、同又三郎、同武雄を除く他の原告十七名及び右原告徳蔵の亡父久松、右原告武雄の亡父子之松その他三名が昭和二十三年二月十八日青森県農地委員会に宛て、本件土地は昭和十六年頃、大湊海軍施設部により買収されたものであるが該土地は造林地として好条件にあるので旧所有者である右出願者等に払下げることを懇請する旨の陳情書を提出し、又原告等二十二名が昭和二十八年三月二十二日、東北財務局青森財務部大湊出張所長に宛て、右同趣旨の懇請をなす旨の旧軍用地払下請願書を提出したことを認めることが出来る。原告川原田清蔵(第一、二回)、同松木金吉、同南沢又吉、同南沢兼五郎、同沢田武雄各本人訊問の結果並びに甲第六号証の記載内容中、右認定に反する部分は前顕他の証拠に対比して措信しがたく鑑定人徳山肆郎、同内山春松の各鑑定の結果を以てしては未だ以上の認定を覆えしがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実からすれば本件土地は地上立木と共に被告主張の如く昭和十八年七月一日当時の共有者と海軍当局との売買により被告国の所有に帰したものといわなければならない。よつて進んで原告沢田武雄の再抗弁について判断するに、被告が右の所有権取得につき未だその旨の移転登記手続を経由していないこと、登記簿上、亡沢田子之松の本件土地について有する持分二十二分の一の共有権が、昭和二十五年十二月二日、原因同二十四年七月十七日の相続により同原告外訴外人四名に移転し、訴外沢田つう外三名の各持分権が、昭和二十五年十二月二日原因同年十一月一日贈与により右原告に移転した旨の記載が存することは当事者間に争がなく。成立に争のない甲第一号証の二、同第十六号証に原告沢田武雄本人訊問の結果を綜合すれば、原告沢田武雄は昭和二十四年七月十七日父沢田子之松の死亡により同人の本件土地及び地上立木について有した二十二分の一の共有持分権を訴外沢田つう、畑中しゆん、畑中ちや、松山さんの四名と共同して相続し、昭和二十五年十二月二日右相続による所有権移転登記を了し、同年十一月一日、右訴外人四名により本件土地に対する各共有持分権の贈与を受け、同二十五年十二月二日に右贈与による所有権移転登記手続を了したことを認め得るが、共同相続人はそれぞれ被相続人の地位を承継するものであつて、共同相続人と被相続人の地位とは同一のものというべく、しかして既に共有に係る不動産の所有権を第三者に譲渡し、その第三者に対し共同して所有権移転の登記義務を負担する共有者相互間に持分を移転した場合は、これを共有者以外の第三者に移転した場合と異なりその譲受けに係る持分についても先の譲受人の所有権取得につき民法第百七十七条にいわゆる登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に該当しないものと解するを相当とすべく、従つて右原告が前記訴外人四名から同訴外人等が相続によつて取得した本件土地等に対する各持分を譲受けその旨の移転登記を経由したとしても、同原告は右譲受けに係る持分の限度においても被告の本件土地に対する登記の欠缺を主張し得ないものといわなければならない。従つてこの点に関する原告武雄の右抗弁も採用できない。

そうだとすれば原告等の被告に対する本件土地等に対する各持分権の確認を求める第一次の請求は爾余の判断をするまでもなく失当として排斥を免れない。

次に原告等の予備的請求の当否について判断するに、戦時補償特別措置法(昭和二十一年十月十九日法律第三十八号)、同法施行規則によれば、地方公共団体若しくは特定機関に対して土地若しくは建物(土地又は建物に定著する物を含む。)を譲渡した場合に、その対価の請求権について戦時補償特別税を課せられたときは、地方公共団体、若しくは特定機関は同法施行の際、現に当該土地若しくは建物等を有する場合に限り旧所有者等の請求により、当該土地若しくは建物をこれ等の者に対し譲渡しなければならないとされ、右に従い譲渡を受けようとする者は、一般申告期限たる昭和二十一年十二月十四日後三箇月以内にその旨を地方公共団体若しくは特定機関に申し出なければならず、而してその後昭和二十三年九月三十日までに戦時補償特別税を納付しなければ譲渡を受けることが出来ないとされているところ、原告等が被告の昭和十八年七月一日なした本件土地買収の対価の請求権について昭和二十三年九月三日、同額の戦時補償特別税を課せられ右を納付したことは被告の認めて争わないところであるが、右の期限内に納付されたことについては原告等の立証を以てしてはこれを認め難く、却つて成立に争のない乙第七号証によれば、右戦時補償特別税は前記所定の期限経過後の同年十月九日に納付されたことが認められるばかりでなく。原告等の全立証を以てしても原告等が同法及び同法施行法所定の期限内に地方公共団体又は特定機関に対し本件土地の譲受の申出手続をなした事を認め難く、かかる手続を履践しない以上国は原告等に対し本件土地を譲渡すべき同法所定の義務を負担するものと解し得ない。従つて原告等の予備的請求も又失当たるを免れない。

よつて原告等の本訴請求はいずれも理由ないものとしてこれを棄却し訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 佐々木次雄 宮本聖司 高瀬秀雄)

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